diary

映画と本

『夏時間の庭』(2008年)オリヴィエ・アサイヤス監督

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あるキッカケーー葬式や長期休暇、どの口実でもいいのだが、それぞれ自立した息子、娘、場合によっては三世代に渡る家族が実家に集うシチュエーションを用いる映画を思い浮かべれば是枝監督の作品が想起される。もうそれだけで、良質な映画であることを予感させますが、「夏時間の庭」においては、祖母の誕生日に集った家族たちのその後を描いた映画だ。いや、言い換えるなら、記憶(=家、美術品)を受け継ぐこと、消失してしまうことを描いている。 

誰かが死ぬこと、何かが無くなることによって、 1)姿形を変えぬまま誰かに継承されるか(=花瓶)、2)大胆な変化を遂げるか(=家)、3)死を受け入れるか(=展示品)、を選択することとなる。 

「(美術品の)花瓶は生命がない」とのセリフにあるように、この映画の態度は1を控えめに主張している。なぜなら、あの花瓶を持って行った世話人は(価値があるであろう美術品はいただけないと思って、一見価値のなさそうな)花瓶を貰い、新たな記憶をその花瓶に宿らせることを選んだではないか。もちろん3には歴史的資料価値、研究など、大いに役立つ。人の記憶は抹消され、生命のないモノになるわけだが、受け入れるということに対してはこれも大事な選択のように思う。そして、この映画のラストは2、つまり家族の記憶を一身に引き受ける家が祖母からみる孫娘に渡ることになる。しかも一見それは、あの輝かしい団欒の画からは程遠い、若者のパーティーに利用されていて、「ああ、変わっちまったな…」なんて落胆を誘い、郷愁を促しているような気にもなるのだが、確かに孫娘に記憶が伝承されていること、変化してしまったが、またそこから新たな記憶が生まれることの予感を美しいショットが物語っている。