diary

映画と本

『冷たい水』(1994年)オリヴィエ・アサイヤス監督

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青春時代に聴いた音楽はノスタルジーを強烈に刺激するし、いまだに同じ音楽を聴いている、好みがそこで止まってる、など、多種多様なこじらせ方があると思う。映画でも青春映画と分別されるカテゴリーにおいて、音楽は非常に重要な役割を担っている。主に当時の記憶という意味では皆が共通に覚えている時代のヒット曲、監督の個人的な思い入れなどによっても選曲は変わってくるだろう。この「冷たい水」においても、そういったオリヴィエ・アサイヤス監督の少年時代ーー1972年前後ーーにリリースされた音楽が使われているのだが、もう一つこの映画で重要な音楽の使われ方がある。

主人公の少年は多感であるがゆえに、さまざまな気持ちを内包している。しかし、なかなか言葉にはできない。言いたいことがあるのに、実際に口にする言葉が見つからない。教師にも親にも最もらしい正論をぶつけられ、為す術なく、少年は説き伏せられる。みていて、「うるせえよ!大人!」としか言い訳できようのない、やるせなさが溢れている。そんな禍々しい思いは誰しも少年期に通過していると思うが、彼はもう一つ通過する。いわゆる代弁者なるものをロックミュージシャン、あるいは作家に見出すのだ。

少年は詩の一編(おそらく何かの引用でしょうが、わからない…)を呟きながら、雄々しく森を横断する。家では、弟とラジオから流れる、ロックミュージックを聴こうとして家中を駆け回り、夢中でチューニングしている姿が映される。その後Deep Purpleのレコードを万引きし、学校で友達に売っているのだが、教室内で生徒たちの手から手へと移動するレコードが「スリ」(1960年/ロベール・ブレッソン監督)の貨幣を想起させたことをささやかながらも触れておきたい。

 廃墟でのパーティーの最中、椅子で窓ガラスを割り火炎に投げ込む少年/少女たちが危なっかしくも、その時間が刹那的にも感じられるシーンであり、若者の突発性だけの抑制の効かない危なっかしさ(=死の匂い)を漂わす魅惑的な炎が燃え続けていた。上に述べた、気持ちを言語化できない少年に対して、大人を困らせるような言動(これが、また小生意気なんです。)を自覚的に演じていたはずの少女(ヴィルジニー・ルドワイヤン)が突然髪を切り出してから、それまでの印象が丸っきり反転して、「女性」に(またもや意識的に!)なる瞬間のようで驚いた。自在に境界を往来している少女の生き生きとした振る舞いがその後の秘密の打ち明けにも繋がり、かつそれに対する少年の反応も即答ではなかったのが、差異を生み出していたのではないでしょうか。

白けた朝を迎えると共に、映画が終わるかと思いましたが、ここからでした…。パーティーの燃え盛る炎がイメージに焼きつき、同時に終わりの予感も漂わせていた、あの時間が遂にそれだけとなり、目の前に濃くて重い青色の湖が二人を待ち構えていた。

 

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