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diary

映画と本

『悪魔のシスター』(1973年)/『愛のメモリー』(1976年)ブライアン・デ・パルマ監督

cinema

DVDで観られるブライアン・デ・パルマ監督の作品の中で最も初期にあたる70年代の二本。どちらも、田舎のTSUTAYAには置いてないと思われるため、買わないと観れません...。ゆえに期待値が無意識に上がってしまうのは避けられない事実です。この期待を持つ/持たざるの塩梅が非常に難しくて、できる限り何事もフラットな姿勢でいたいのだが、「買う」となるとやっぱり、それ相応の満足感を得たいという貧乏意識(?)を隠せない。とはいっても、ブライアン・デ・パルマ監督の70年代の作品を観ることに、どうしたってネガティブな効果はないし、なにより「観た」という事実、経験を得られるだけ、儲けものなのです。一番気持ち悪いのは「観れない」ことですから...。

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悪魔のシスター』(1973年)ブライアン・デ・パルマ監督

タイトル名で、さっそくネタバレしていることに驚きを隠せませんが、これはある種の宣戦布告なのでは。「よくある物語」とか、「ありきたりな語り」とか、だいたいこのように我々が語るときは「男が女に出会って恋をする」だの、「主人公が争いに勝つ」だの、毎年何度も目にしては同じ言葉を吐き捨て、やれメロドラマだ、退屈だ、と批判をたれるわけだ。この時代において、ただの恋愛物語、ヒーローが悪党を倒すなど、リニアな語りは必要とされてない、とすら思えてしまうほど、人々は肥えている。物語は全て語り尽くされたと言われる中で(もちろん、そうは言っても毎年のように衝撃を受ける映画は何本も上映されていますが。)、「実は全部主人公の夢でした」とか、「主人公は多重人格でした」とか、こういった語りは「一本とられた」というよりは「汚いやり方だな」と思わずにはいられないほど出尽くしてるのではないだろうか。実は『悪魔のシスター』(1973年)の語りも、その例に漏れることはない。しかしながら、その結末的なオチはタイトルで告白済みだ。序盤にも姉妹であることや、中盤にシャム双生児について言及しているので、決して最後に観客が「主人公はシャム双生児だったから、人格が二つあるのか!」なんて驚くことは一切ない。オチ勝負ではない(そもそも、オチだけで安易に判断する人はいないであろうが。)ことを実証しているわけだが、ではなぜ、この映画がサスペンスたりえているのか。それは映像の斬新さ、限りなくコミカルに近いパラノイア、にある。冒頭のカットは、なにやら映画において重要な出来事であるかのような場面をみせるが、これは後の『ミッドナイトクロス』(1981年)にも引用されることになる、ただの再現VTRだったという出鼻をくじくような、ファーストカットでデ・パルマは煽ってくる。スクリーンを二つに分割し、別のカットをみせる手法も複数の監視カメラを覗いているようだし、円形のレンズに切り替わったり、窓をレンズのようにして、異形の枠で奥の人物をとらえたりと、いくつかそういった手法が用いられている。そしてこの映画は、信用なき女が本当の真実に迫る「本当のことなのに、誰も信じてくれない」悲劇を伴った、まさに命をかけた素人探偵映画でもある。ヒッチコック云々と、今や彼を語る際の常套句となった安全な発言よりも、素直にこの映画は「チャイナタウン」(1974年)さながら、深い霧に覆われた真相へと女が迷い込んでしまう映画であることを告げておきたい。

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愛のメモリー』(1976年)ブライアン・デ・パルマ監督

 

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