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diary

映画と本

『ローズマリーの赤ちゃん』(1968年)/『テナント/恐怖を借りた男』(1976年)ロマン・ポランスキー監督

今年『インヒアレント・ヴァイス』(2014年)を二回劇場で観た。公開に合わせて、ユリイカポール・トーマス・アンダーソンの特集号が発売した。とりわけその中で、言及されていた参考となる(探偵)映画に『ロング・グッドバイ』(1973年)や、『三つ数えろ』(1946年)が論考の中で用いられていた。『チャイナタウン』(1974年)もその一つであるが、そのことがポランスキーを観るキッカケとなる、フックだった。当記事は『チャイナタウン』(1974年)の前後に作られた二本の映画だ。あの「途方もない、やるせなさ」をある種の諦念のように、どんよりとした闇の彼方へと、観客の意識もろとも葬った傑作と類似する、ある傾向を二本の映画から見出せる。

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ローズマリーの赤ちゃん』(1968年)ロマン・ポランスキー監督

 ウェス・アンダーソンが選ぶNY舞台の映画リストに入っていたり(下記リンク参照)、『フューリー』(1978年)同様にジョン・カサヴェテスが出演していることだったりと、何かしら「観ようかな」と思わせるフックがある今作。主人公が悲劇に襲われることを『悪魔のシスター』(1973年)『フューリー』(1978年)では催眠術、テレキネスを用いて、ある種のダイナミズム、爽快的な爆発力を味わさせる、デ・パルマ。対して、ポランスキーもサスペンスを撮るうえで、職業探偵ではない、一般の市民が事件に巻き込まれるという、観客を皮膚感覚で脅かすような手法をとる。最終的には人外な特殊能力で決着をつけるデ・パルマではあるが、ポランスキー同様に物語の大筋となるのは、素人が触れてはいけない真相へと潜り込み、脱出不可能な状態に陥ってしまうことである。まさに、不条理なサスペンス。この辺りの、60年代から映画を撮り続ける二人の作家の共通項、あるいは一見共通にみえるが正反対な語りを試みている、という論考がどこかにあれば今すぐ読みたい...。さて、『ローズマリーの赤ちゃん』は端的に「引っ越してきたアパートが最悪だった」と言い表せる。しかも、最大の味方であるはずの夫が妻の危惧を「現実的な問題として対処してくれない」という、よくある夫婦喧嘩とか、後に夫がしっぺ返しを喰らうとか、そんなもんじゃなくなってるのが、恐怖である。一人の女性が我が子を守るために、密かな抵抗を繰り返すが、その抵抗を遮る手の数が無数にあり、空回りに終わる。身動きすらとれない状態で、ただ訪れる悲劇を眠りながら待つしかない。

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『テナント/恐怖を借りた男』(1976年)ロマン・ポランスキー監督

 「曰くつき物件を借りてしまった不幸な男」とするならば、あながち『ローズマリーの赤ちゃん』(1968年)と変わりばえのしない、凡作であることを避けられない。が、ポランスキーはもちろん避けている。妊婦が疑心暗鬼な気持ちを抱いたまま、真相へと身一つで突っ込んでいった『ローズマリーの赤ちゃん』であったが、『テナント/恐怖を借りた男』(1976年)でもそうである。しかし、その悲劇に「主人公自身も加担してしまっている」ことが徐々に浮かび上がってくる。自分で自分の首を絞めると、一言で言えばそうだが、もはやそれすらも住民の策略なのか、それとも男が単に妄執に取り憑かれただけで自ら悲劇へと足を速めてしまったのか、ハッキリとはしない。教会からいち早く外へ出たい主人公がドアに手をかけると鍵が閉まっていて「閉じ込められた」と一瞬パニックを煽るカットがあるのだが、直ぐ隣のドアから外にでる演出が、このような「狂ってるのは自分か、住民か」というような問いかけを投げてくる。今回の二作に通じてくるのはこの「狂ってるのは自分か、住民か」という不安である。しかもそれは「自分と住民たち」だけの、ある意味閉鎖的な関係の中で起きた出来事にすぎないことが、より一層不安、恐怖を駆り立ててくる。そして、主人公が、ある人物と同じ顛末を辿ることになるのは『悪魔のシスター』(1973年)でも描かれていたと、ふと思い出されるのである。

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