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diary

映画と本

The best films of 2015(2/2)

正直、ここ最近映画を観始めたのが2014年12月に『ゴーン・ガール』(2014年)、『インターステラー』(2014年)、『ショート・ターム』(2013年) に遭遇したこと、2015年1月に川越スカラ座で『フランシス・ハ』(2012年)を観たことに端を発しているため、2015年公開の新作をあまり追いかけられていない。だから前記事

では、5本の選出にとどまった。分母はその3倍程度である。他はDVDでの旧作鑑賞に多くの時間を割いた。しかし、どうやらDVD化されていない作品が数多くあることに、ものすごく興味を惹かれた。しかも上映会と名のうたれた催しで、日本劇場未公開作品がインディペンデント団体(あるいは学生団体)によって、上映されていることも珍しくなく、あの海外映画サイトのリストに選出されている未公開作を観れる、という貴重な体験を提供してくれている。また、80年代の公開作がVHS化すらもしないまま、今年になってデジタル・リマスター版として再上映されるケースも多い。なので、2015年公開と一言にいっても、対象の作品は計り知れないのだ。この記事は、単に名画座で公開されたクラシックの紹介でも、復元プリントされた名作の紹介でもない。年に数回、稀なタイミングで行われる特集上映に引っかかるかもしれない程度で、そのタイミングを待つしかない稀有な作品に、他でもない今年(2015年に)出会った記録である。だから、今すぐレンタルビデオ屋に行こうともDVDは置いていないので、悪しからず。そして、何よりも「この先」に繋がる作家の作品であることを告げておきたい。

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5.『ウェット・ホット・アメリカン・サマー』(2001年)デヴィッド・ウェイン監督

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 単なる青春映画としてノスタルジーを強烈に刺激する映画ではないと、ひとまず言える。夏休みのキャンプ最終日から始まる、この映画の冒頭に少数の少年たちが...と思いきや大勢の少年たちが指導員の起床前(という設定)に一斉に自分の部屋へと帰る、そのバカバカしさに安心して身を任せられる確かなるコメディーセンスを感じ、もう後はそれが揺るがないままに1日が過ぎてゆく。「子供な大人、大人な子供」という倒錯の可笑しさや大仰な二度見は古典的ともいえる手法ではあるが、連打による突っ切ったごまかしには陥ってはいない心地良さがある。または観客のみが知っている事実によって「至って真面目な両者が実は裏では相手の気を引くためにある行動をしている。」このやり取りがキャラクターたちに愛着が湧き、果てはそのキャラが画面に現れただけで笑ってしまいそうになる無双感すらある。なぜこの映画が往年の青春ノスタルジー病とは無縁であるかは、主人公がキャンプに来ている子供たちではなく、指導員(といっても設定はティーン)であるからだろう。その語り口もジメジメとした「過ぎ去ったあの時間」を一切省みずに「その場の笑い」に徹している。ゆえにその場に参加しているような時間を過ごすことになるのだ。

 

4.『三人の結婚』(2010年)ジャック・ドワイヨン監督

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池袋新文芸坐での二本立て『恐怖分子』(1986年)の併映に腰を据えた『ラブバトル』(2013年)の一見奇怪な、文字通りのラブバトルに眩暈を催した。その魅惑的な可笑しさに、打ちのめされた事実をどうしても記録しておきたい。同場所で行われるシネマテークジャック・ドワイヨンの作品が二本上映されたことも、さらなる追い討ちをかけた。肉体の躍動感にまず戸惑い、微笑を浮かべることもできるそのシュールな画に圧倒された「ラブバトル」(2013年)と同じく、屋敷を舞台にした男女(たち)の科白の応酬によって滞りなく変化する関係を描いている。主に4人の(ゲーム的)恋愛関係を軸に展開する。ゲームからの離脱は家を出ることを意味し、外(土手?)に出た男女たちは銃を撃つなど、取っ組み合いを仕掛け、己の肉体を見せびらかす奇行をみせる。ただ1人の女だけは2階に居続けるため5人が同一のフレームに収まることは稀である。つまりその女だけは加速する関係から疎外された傍観者で在り続け、ゲームに自主的に参加しないことによって、本来の願望を果たすのだ。二人っきりになった屋敷でベッドを人力によって回転させる男に「ラブバトル」でモノのように人間が動き回るあの映像が重なった。「男と女と屋敷があれば...」と思えてきてしまう、その突き詰めた脚本で行き着くところまで行ってしまうドワイヨンのユーモアが相変わらず爆発している。

 

3.『女っ気なし』(2011年)ギヨーム・ブラック監督

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2.『不気味なものの肌に触れる』(2011年)濱口竜介監督

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たいして日本の映画を観ていないのだが、是枝裕和監督、橋口亮輔監督、そして濱口竜介監督の名が特別であることは今や周知の事実かもしれない。未だ今作と『なみのおと』(2011年)しか、観ていないことに焦燥すら感じてしまう。そして、二本しか観ていないのに、確信に満ちているのも可笑しさ話である。「触れると何かが起きる」それは『フューリー』(1978年)では超能力者によって、ダイナミズムな効力を発揮していたし、『アンブレイカブル』(2000年)など一連の映画では、記憶をめぐる装置として、触れていた。『不気味なものの肌に触れる』では、何もかも不確かである。「不気味」を丁寧に積み上げることで、さも天災でも引き起こしかねない予感を張り巡らせる。お互いの肌をギリギリの距離ーー触れるか触れないかーーで保ちながら、ダンスに興じる二人の男を見つめるほかない。「触れると何かが起きる」だろうと、我々はその「触れた後」を目撃しようと目を凝らすばかりであるが、映画をことごとく身をかわす。

 

1.『アメリカン・スリープオーバー』(2010年)デヴィッド・ロバート・ミッチェル監督

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 友達の家にお菓子とレンタルビデオを持ち合わせて泊まりに行った高揚感とノスタルジーを思い出さずにはいられなくる。悪い事ではないのに、悪い事をしているように感じる、青年期の親からの監視から外れた開放感。彼/彼女たちもまたお泊まり会で異性愛、飲酒など大人の世界への冒険を試みるのだが、何故かイノセントな世界を守ろうともする。こんな台詞があった。「大人の真似事をすると、いつか子供の頃の大切な気持ちを忘れてしまう。」ロブは一目惚れした女の子を探し歩きやっと廃墟で見つけた、マギーはプールで見た男と良い雰囲気になる。クラウディアとスコットもそうである。これは彼/彼女たちが望んだ展開であるのに関わらず、ある決断をする。『シンデレラ』(2015年)で繰り返し語り継がれているように、あの作品には「12時を過ぎると魔法が解ける」ルールがある。それまでの限定的な時間を謳歌することが許され、女は不遇な日常から解き放たれる。まるでそのような、ルールこそ「キスをすること」であるかのようなのが『アメリカン・スリープオーバー』である。子供と大人の狭間を今まさに乗り越えようとする彼/彼女たちは、ボーダーラインに足をかけているが、あえて乗り越えない。その前に、何かを失わないように、大切な何かを見落とさないように慎重に青春という名の時間がいつかノスタルジーとなる、この瞬間を抱きしめるように大切に過ごしている。無事、同監督の新作『イット・フォローズ』の日本公開(1月)が決まったようで、楽しみ。