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映画と本

『死霊のはらわた』(1981年)/『死霊のはらわた Ⅱ』(1987年)サム・ライミ監督

 『Dissolve』のランキングでは『Ⅱ』が4位で、『Ⅰ』はランク外ということになっている。観たところ、ほぼストーリーに変化はなく、クリチャー造形や編集技術の進歩によって、リメイクされたと言う方が正しい『Ⅱ』が上位というのも納得できる。シリーズ化が当然のように作られるホラー映画につきまとう「結局、1が一番良い」説、「リメイクはクソ」説、など、それを言うことの凡庸さにも飽き飽きしてしまうほどの共通認識と化しているので、わざわざ、その説を用いて声高に宣言するつもりは毛頭ない。それが当たり前なのだから、差異、細部に目を配ってみようという試みで両作を観た。だからこそ、『Ⅱ』が上位という位置付けが興味を惹く。

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死霊のはらわた』(1981年)サム・ライミ監督

 「友達と田舎に行ったら、そこにはコミュニケート不可能なやつらがいた」といえば、『悪魔のいけにえ』(1974年)の正しい継承作といえよう。しかし、そんなことをホラー映画(のみならずとも)に言い嵌めれば、一体何百の作品がその設定を用いていることか、容易に想像がつく。 だからこそ、この指摘は凡庸にすぎない。そもそも何十年も住んでいる自宅の地下部屋から突然ゾンビ的なものが眠りから覚めるなんて、少々無理がある。なので必然的に登場人物たちは場所を移動せざるを得ない。これはホラー映画に限ったことではない。(いいようによってはホラーですけど)『脱出』(1974年)のような映画でも、「田舎に行くこと」は「未知を切り開く」ようであるし、予期せぬ出来事が起こりがちである。

では、ホラー映画をつくるうえで『悪魔のいけにえ』のような設定を用いながら、古典を見つめながら、それでもホラー映画をつくろうと決心したサム・ライミはどのようにして、逸脱しようとしたか。五人組に襲いかかる「不気味なやつら」が、終始不気味でありつづけ、不条理さをもたらした『悪魔のいけにえ』は他者(ファミリー)の介入によって、物語を展開させた。秩序の保たれた五人の関係に外的な要因(ファミリー)が無差別に殺しにかかったのだ。『死霊のはらわた』では、外的な要因ではなく、(おそらく)体内に侵入する悪魔の魂が五人の内側から入り込み、いわば血で血を洗う殺し合いが五人組の中で行われる。これは『エイリアン』(1979年)から『パラサイト』(1998年)(それ以降に)まで続く、「誰が仲間で、誰が敵なのか」という、ある種の心理戦的がホラー・サスペンスに脈々と受け継がれる系譜であることがうかがえる。

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死霊のはらわた Ⅱ』(1987年)サム・ライミ監督

 

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