diary

映画と本

『... of the(Living)Dead』トリロジー(原題)ジョージ・A・ロメロ監督

ジョージ・A・ロメロ監督によるゾンビ映画三部作。後に三作全て他監督によってリメイクされていて紛らわしいので、レンタル、購入の際は気をつけて。どうも「中学生男子が好きな監督」(あるいは、「映画秘宝読者」)臭を拭いきれないジョージ・A・ロメロ監督への接近は後ずさりしてしまいそうになる。これは単に「ゾンビ?ハハハ、アホらし」という作品への視線ではなく、出来上がっている巨大コミュニティにわざわざ自分から足を踏み入れることの凡庸さに決心がつききれない煮えきれなさであるわけだが...言い訳にすぎない。ともあれ、例のごとく「Dissolve」のランキングに入っている作品が二本ある。 3位にナイト・オブ・ザ・リビングデッド』(1968年)、9位『ゾンビ』(1978年)だ。さて、ユリイカのゾンビ特集を買う準備が整ってしまったな。

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ナイト・オブ・ザ・リビングデッド』(1968年)

 ゾンビの造形的な美しさや、人間vsゾンビの拮抗した闘い、を主に「そんなもん」だと正直、高を括ってゾンビ映画を観た。だが、往々にして優れた映画が「○○なのに、それだけではない」という定式からの逸脱を試みているように、今作もそうである。たとえば「犯罪映画なのに、結局は父子の和解の映画であった」「同性愛者の恋愛映画なのに、全く異性愛者にも当てはまる」というような、さきに観客を引き寄せる題材があって、あるいは映画的なモチーフ(モンスターやら、幽霊やら)があって、そこで語られる別の主題が実は普遍的であることから、観終わった後に予想していなかった感情を得られるという体験が待っている。兄妹は墓参りのため、田舎町へ赴く。そこでゾンビ(死者)に出くわしてしまう。なぜか人に襲いかかる得体の知れないやつらと認識され、一軒の家に逃げ込むが、包囲するようにゾンビが追ってくる。舞台が家で、壁、ドアが敵との距離を遮る唯一のバリアーであることから、やすやすと『鳥』(1963年/アルフレッド・ヒッチコック監督)が、たったワンアイディアで一級のサスペンスを撮りあげてしまった好例を引き出し、やはり今作でも、ゾンビはただの客寄せに過ぎないのだと立証できはしないだろうか。家に立て籠もった数人の人間たちが対立しながらも、同じ運命を予想しながら、連帯を作り上げていくことを予感させながら、一見自己中心的な男を配置し、何度も振り出しに戻る作業をおこなう。無論、生き残る方法に効率の良い、妥当な策なんてものはなく、ただただ思いついたアイディアを試すほかない。それが死を迎える時間をただただ引き延ばす遅延行為であろうと、生き残るためには何かやれなければならないという行動あるのみ、であろうと関係なしに。

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『ゾンビ』(1978年)

 前作の舞台である「家」から「モール」へと主戦場を変える。映画内においても、「都市」から「郊外」へと場所を転換させている。このような「郊外」と「モール」の関係、70年代アメリカ、消費文化を紐解くような言説が今作にはつきものだ。というか、それ以外あまり見かけない。なので、なにも消費に依存した人間(ゾンビ)が無意識にモールへと向かっていることの皮肉や、モール内で全ての生活用品を整え、ゾンビさながらただただ同じ場所を右往左往し続ける登場人物たちを観て、「人間もゾンビも大差はないのである」と、鬼の首をとったかのように叫ぶつもりはない。普段、ゾンビ、モンスター、化物が出る映画を観ない筆者にとって、ゾンビがどれだけキモいかは重要である。「ゾンビ」という言葉が発する甘美な匂いに誘われて今作を手に取るような観客にも、その念願を少なくとも前作を上回るグロテスクさでみせてくれいる。乾燥した粘土がパックリ割れるかのように、身体の肉が転げ落ちる描写に、いちいち「ひえ〜」と言ってしまう。ゾンビが人を襲うと、その人がゾンビになるわけだが、ここでお決まりのパターンがやってくる。仲間がゾンビになり、殺せるか殺せないか、である。大抵は躊躇するどころか、涙を流し、ときには丁寧に思い出のフラッシュバックなんかも挿入できてしまう感動的な場面をつくれるが、あっさりめに発砲します。これはいかにもゲーム的に「あ、やべ、味方がゾンビになっちまったよ」といった程度に解釈できるし、モールでの物資の調達が難しくなれば次の場所へと移動するだろうし、ゾンビを倒す計画も遊び感覚(計画が達成したとき、歓喜のリアクションをする)になっているのが非現実的な感覚を漂わせている。

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死霊のえじき』(1985年)

キャストが同じで、過去作での教訓なり、物語が再度次作でも持ち込まれるということはないので、三作が共通しているわけではない。ただ、「家」→「モール」と規模を拡大してきて、ついに今作では「地下」へと匿うことになる。よって、ゾンビの数も増えているわけで、「モール」のときのように空を飛び、各地を転々と逃げ続ける方法が決して賢い選択とはならず、あろうことかゾンビを教育して、人間のように仕立て上げ、あわよくばペット的な無害な存在にしようと科学者が企む。じっくりとゾンビをカメラが追うせいか、あまりゾンビの登場にワクワクしない。「モール」での人間たちのはしゃぎっぷり、「モール」である意味が周到に仕組まれていた前作、一軒家の閉鎖感、脆さにしか守られない前々作、と比べてしまえば、サスペンスたりうる張り詰めた緊張感というものは弱まっている。命がかかっているのにも関わらず、偏見を改めることなく対立し続ける人間たちの闘争も、やや既視感をおぼえるが、これ以上のスケールでみせられると、スペクタクルだけになってしまうので、それは良いバランスだったと言っておきたい。

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ナイト・オブ・ザ・リビングデッド [Blu-ray]

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