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diary

映画と本

『ストロンボリ』(1949年)/『イタリア旅行』(1953年)ロベルト・ロッセリーニ監督

「男と女と一台の車とカメラがあれば映画ができる」

 ー ジャン=リュック・ゴダール 

この有名な言葉に誘われるまま『イタリア旅行』を観て、ロベルト・ロッセリーニの名前、あるいは彼らが生きた時代のイタリア映画、潮流を知った多くの映画ファンのうちの一人であることは否定しようがない事実である。ロッセリーニ×バーグマンのもう一本『不安』(1954年)を心待ちにしながら、とりあえずの二本。

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『ストロンボリ』(1949年)ロベルト・ロッセリーニ監督

『イタリア旅行』を先に観ていたせいか、どうもやはりロッセリーニはメロドラマのその先にあるメロドラマを描いていると思えてならない。『イタリア旅行』は「結ばれた男女のその先の倦怠期」であるし、今作は「住む世界の違う(結ばれた)男女のその先の暮らし」を描いている。ハリウッドのクラシックが「住む世界の違う男女の恋愛劇」を出会いから、第三者の偏見や、価値観の違いを用いて、「決して出会うはずのなかった男女」の奇跡的(!)なロマンス(そう考えると、ジョン・ヒューズの異スクールカーストの邂逅もそうだな...。)を仕立て上げるのに対し、ロッセリーニはかくも「その先の暮らし」を描いている。こんなところ「人間の住むところじゃない」と、泣いて頭を抱え鬱憤を溜め込む女と同等に噴火の準備を整える活火山。

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『イタリア旅行』(1953年)ロベルト・ロッセリーニ監督

リチャード・リンクレイター監督による、 『ビフォア・ミッドナイト』(2013年)の倦怠期の夫妻、またはビフォア・トリロジーを丸ごと飲み込んだような『トスカーナの贋作』(2010年/アッパス・キアロスタミ監督)を直近の例として挙げられるほど、「旅先での夫妻」の現状打破的なドラマをつくりあげている古典。「若い男女が結ばれました、めでたしめでたし」の延長線上にある、この夫妻の物語は一見エンディングだけをみれば「なんだ、たんなるメロドラマではないか」と毒づくことができる。誰かが死ぬわけでも、突然無一文になるわけでもなく、夫妻がせいぜい「あのときの(出会った時の)ドキドキがなくなった」と思い続けているにすぎない。これがどれだけリアリティーたりうるか、筆者は結婚の経験がないので推測しかねるが、この問題は夫婦にとってまさに人生の岐路に立たされる問題であることを実感できる。二人の間には亀裂が生じているが、その亀裂をこれ以上ひろげまいと、とりあえずの関係を維持している夫妻にとって「旅先」という(良い方にも悪い方にも)何かが起こりそうなイベントは非常に危険である。ともあれ、最悪の事態だけは避けようと、お互いが最低限の歩み寄りをみせるなかで、ついに夫妻の仲を裂くような決定的なワード(「離婚」)が発せられるときの絶望感たるや。あらゆる映画が題材とする地球滅亡や、悲劇の殺人など、そのどれをも凌駕し、二人の関係性が今まさに、その場で決壊し、これから変わってしまうという悲劇に、ひれ伏してしまうほどにたじろぐのである。

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