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diary

映画と本

『パレードへようこそ』(2014年)マシュー・ウォーチャス監督

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『パレードへようこそ』(2014年)マシュー・ウォーチャス監督

一人の青年がある団体(=連帯)に些細なキッカケを機に巻き込まれ、共感し、団結する。その一連のながれをみて、あるいは即席クラブと化した多目的ホールのような建物でダンスに興じる人間たちをみて、なんとなく『ブギーナイツ』を想起した。それは、その時点では不確かだったが、青年がやがて通っている調理師専門学校の停学処分の通知を受け、それが親にバレて、こっぴどく叱られているシーンが訪れる。それでも青年は「自分が今やらなきゃいけないこと」にどうにもこうにも堪えきれず、親との縁が切れてしまうことを恐れずに「家を出る」決断したところで確信に変わった。「家を出る」「親の期待に応えない」これらは裏切り行為に映るだろう。なにも、寛容な親と不寛容な親がどうとかの話ではない。親が自分の時間を削って、働いて稼いだお金を出して、「専門学校に行かせてあげた/行かせてもらった」「育てた/育ててもらった」親と子の関係を持つ人なら誰しもが抱える事案だ。そこには一生返しきれない恩、感謝がある。その恩や感謝を親に直接対価として謝礼や、行動で示すこと(親の言う通りに人生を決めること)を一方では望んでいる人がいるかもしれないが、そのような親の不理解をテーマにはしていない。たとえ(感謝しないといけない)親の心配をよそに、自分が正しいと思ったら、それをやり続ける。その勇気を誰かに非難されようとも、誰もが後ろめたいことを背負って生きている。もちろん親に感謝しないといけないことは頭では分かっているけど(それでも「お前は分かってない」と言われることもあるだろうけど、正しいことが世の中にどれくらいあるだろう)、「自分の人生は自分で決めたい」という切実さを「家を出る」ことに感じる。

ある団体とは、レズビアン・ゲイ・サポート・マイナーズ、通称LGSMだ。よって、登場人物たちの多くはレズビアンとゲイである。ここでも不理解、差別をテーマにできる要素を持っている。つまりそれは悲哀を演出できるということだ。「この時代にはこんな偏見がありました、可哀想な人たちがいました」このようなテーマだけの映画はいくつもあるが、今作は、その多くの悲しさだけを売りにした映画とは一線を画している。ともすれば、なぜ映画は「男が...」「女が...」「同性愛者が...」と性別で語ろうとするのか、同性愛者が出るからといって、なぜ社会派の印象を与えてしまうのか、そんな区別以前に誰しもがただの人間ではないか、もっとシームレスに性別の先入観なしに人間同士の触れ合いを描けないだろうかという主題がある。なにも、今作だけに限ったことではない。登場人物たちが男であろうが、女であろうが、レズビアンであろうが、ゲイであろうが、そんなもの関係なしに、映画で語られる問題は誰にだって当てはまることを優れた作家たちは証明している。それが現代映画のマナーであるかのごとく。

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